Jumping Spiders
縁あって出会ったハエトリグモのつぶらな瞳に魅せられ、2013年より撮影を始めたハエトリグモのユーモラスで魅力的な姿を捉えた作品を展示しています。多焦点合成作品が中心になりますが、シングルショットや捕食活動、オスとメスの違いなどもセクションを分けて紹介しています。
なぜハエトリグモを撮り始めたのかを簡単に説明すると、「生死が交差するドラマ」を垣間見れる生き物で、生粋のハンターである姿に魅了されたからです。
子供の頃、生死のドラマが交差するドキュメンタリー番組などが大好きでした。いつかは自分の目で見てみたいと、カナダやアラスカ、ケニアなどにも足を伸ばしてしまいました。実際に現地に行くと野生動物は多く目にすることができても「生死をを掛けたドラマ」を見る機会に恵まれることなどほとんどありません。日常生活に追われそんな思いが自分に秘められていることも忘れていたある日、機材のテストで立ち寄った近所の公園でハエトリグモが獲物に飛びかかり狩りをする様子を目撃した瞬間、何も海の彼方に探さなくても、「生死のドラマ」は足元で繰り広げられていることに気付かされたのです。接写レンズ越しに見るハエトリグモの姿は、チャームポイントとなっているその大きなつぶらな瞳がとても魅力的で、一目で魅了されていきました。彼らは生まれながらにして生粋のハンターであり、食物連鎖のピラミッドの中で頂点の一角を担っています。と同時に被捕食者でもあり、まさしく一瞬一瞬が死と隣り合わせの「生と死のドラマ」の中の主人公なのです。
彼らの置かれている状況は世界中の危機に瀕する野生動物と変わらないことに、撮影を続けているうちに気づくことになりました。それは人間の営みが彼らの生息域を脅かしているという問題です。
肉食動物であるクモは食物連鎖のピラミッドの土台部分を調整する役目を担っています。彼らの獲物が豊富であるということは、そこの自然は健全と言えるでしょう。小さな生命を育む環境を整えることが豊かな自然を育む、ということに気付かされました。土台の崩れたピラミッドは、いつか崩壊してしまうでしょう。その縮図を大きな目を持つ小さなハンターが教えてくれるのです。
彼らの姿を鮮明に且つダイナミックに撮りたい、伝えたいがため、多焦点合成の作品をメインに展示しています。
Other Spiders
ハエトリグモを撮り始めていうもの、クモ独特の脚を動かす動きにもだいぶ慣れてきました。
自分自身に「クモが好きか」と問いかけると、「ハエトリはいいけど、他のクモはどちらかというと嫌い」な方に振れていたような気がします。その原因が何なのかさらに自問自答すると、「あの脚の動きダメ」な事に気がつきました。どういう脚の動かせ方なのかというと、第一脚を掲げ宙を掻くような独特な動きです。最初見たときは、背筋がゾッとし、全身鳥肌だらけになったくらいです。
ハエトリグモを撮影しているうちに、この動きが逃げるために糸を探していることがわかりました。原因がわかれば恐くはありません。そのうち、鮒鮨かドリアンかと言うくらい、このゲテな動きが堪らなくなってきます。
こうしてハエトリグモがクッションになってくれたおかげで、他のクモにも目を向けるようになりました。ハエトリグモと違い簡単に見分けがつかず、キャプション付けなどで苦労するのでハードルが一段高くなることも他のクモを遠ざけていた理由の一つなのですが、実際に撮り始めてみると、これがハエトリに負けず劣らず、同じ「クモ」と言うだけではくくれない面白い生き物で、それぞれが独特な特徴を持っていて、それを見比べているだけで面白くなってきます。特に伏兵型(待ち伏せして獲物を取るタイプ)のカニグモ科の多くの種は、身動きひとつせずジッとしているので、多焦点合成撮影にはもってこいの理想的なモデルさんです。
もう少し根を詰めて探せば、見つけられるのでしょうが、ハエトリと勝手が違い、いる場所があまりわからないため、手すりや杭の上に出てきていた個体を採取してきたものから、さらによく撮れているな、と思われる作品を展示しています。
なお、こちらのギャラリーの中には、荒々しい姿で撮りたいという撮影者本人の思いも入っている作品も展示しているので、クモ嫌い、虫嫌いの方には、ご遠慮していただくのが良いと思います。
Shining Wings
ハエトリグモの撮影からのスピンオフでハエを撮り始めました。
ハエを撮り始めた経緯を簡単に説明すると、クモに給餌するために多くのハエを捕まえてきてはクモに与え、捕食する様子を撮っている際、ある角度でハエの翅に光を当てると隠されていた干渉色が炙り出され、虹色に輝くことが多々あったのです。薄々感づいていましたが、黒バックで撮ったらキレイだろうな、とは思っていたのですが、セッティングを見直し、実際に撮影してみると、想像以上に美しかったのです。
それからというものクモの撮影の合間にハエの翅も撮影し始めました。撮り始めると、光の角度の調整が意外と難しく、撮っては確認して再調整という作業を繰り返し本番の撮影に入ります。それから先も苦難の連続が続きます。
15倍前後の倍率まで上げて撮影することが多いので、300枚撮って、いざ積んでみたら失敗!ということが多々あり、途方に暮れることも一度や二度ではありません。主に倍率の上げ過ぎによるレンズの解像度不足やブレで精細さを失うといった失敗がほとんどです。それでもめげずに撮影していると、今まで見たことのない新しいハエの一面が浮かび上がってきます。ジャンルとしては抽象と科学の世界の狭間といったところですが、モチーフとしてとては斬新、且つ新鮮な印象だと思っていますが、どうでしょう? ハエもクモに負けず劣らず嫌われることはあっても焦点を当てられることは少ないですが、クモよりさらに身近で光の当て方を変えるだけで、全く新しい世界を見せてくれることに驚いています。
これは大発見と思っていたところ、種によって干渉色の傾向があり、もしかしたら、仕組みも構造も違うその目で、虫独自の世界を見ているのかもしれない、と言う仮説のもとに研究が始まっているようです。
詳しいことは専門の人にお任せして、ここでは、鑑賞に耐えると思われる作品を掲載します。
Other Bugs
クモ採取やクモの餌であるハエ捕りの合間に見つけたクモより少しサイズの大きい昆虫やクモのエサになるハエなどを多焦点合成で撮影した作品を展示しています。
現在のところ、ハエ、アブ、ハチ、コガネムシ系などを折を見て撮影していますが、あまり数は多くありません。
今後は展示点数を増やしていきたいと思っているのですが、多焦点合成での撮影はとても手間がかかるのと、クモに比べてサイズがあまりにも大きすぎ、手持ちの機材では対処しきれないため、モチベーションへのブレーキがかかってしまうので、あまり獲って来ず、クモと同サイズの昆虫が多くなっています。
それでも、クワガタやカブトムシは別格で、見つけた瞬間少年に戻って捕まえてしまい、いざ、撮影という段になって、セッティング諸々を変えてでも撮影してしまうから、さすがの存在感です。
今後増やしていくモチベーションを高めるためにも、セクションを分けておくことにしました。ゆくゆくは目レベルくらいで分けられるくらい撮れればいいと思っています。
Snow Flakes
昔、オーロラ撮影に夢中になっていた当時、撮影には1-3ヶ月の長期滞在で挑みました。数少ないチャンスを逃さないためです。長期滞在していると、晴れた日ばかりではありません。雪の日は撮影がままならず、悶々とした時間を費やさなけばなりませんでした。
そんなことを何回か続けているうち、その雪の結晶を撮影することを思いつきました。当時、オーロラのスライドショーをよく開催していたため、大量のデュープが必要でベローズは持っていたのです。オーロラ撮影用の機材にベローズを加え、雪が降った時にもただ指をくわえて見ているのではなく、新しい世界を見てみたいと思ったからです。
実際にレンズ越しに雪の結晶を見ると狂おしいばかりに美しかったのを鮮明に覚えています。1996年のことでした。それ以来雪の結晶の撮影は折をみて続けています。最初は自然光での落射照明でしたが、透過照明に切り替えて陰影をつけるように調整し、2008年からは光源と被写体である雪の間にセロハンで色をつけて、無色透明である雪に色をつける撮影をしています。合わせて、簡易的な暗視野照明で黒バックにする方法での撮影にもチャレンジしています。
さらに多焦点合成での撮影にも挑んでいますが、雪の結晶はみるみるうちに昇華して跡形もなくなくなってしまうので、なかなか思うようには撮らせてくれませんが、発展途上ということで大目に見ていただけると幸いです。
オーロラの見える地域では冬の気温がマイナス30度以下になることも多く、撮影時間にも余裕があるのですが、日本の本州ではマイナス20度以下になることがほとんどなく、雪の結晶の撮影は至難の技であることを思い知らされます。照明の熱であっという間に消えて無くなってしまうのです。
また、吹雪の時には多くの結晶は手元に落ちてきた時には崩れていたりするので、綺麗な結晶に出会うのがまた一苦労です。自分の息で台無しにしてしまったり、と失敗の連続ですが、うまく撮れた時には宝石にも勝るとも劣らない輝きを放ち、その儚さと相まってまさしく一期一会の逢瀬といった感じで、魅了してやまない被写体です。
また、私は好きな風景の一つが氷河のある風景なのですが、大地を埋め尽くす氷河の細胞とも言える一片一片の雪を見ることで、氷河のスケールの壮大さも改めて感じることができるのです。
Landscape
どこまでも広がる果てしないツンドラの大地、赤く染まる地平線、奇観の続く荒涼とした地形、落ちゆく氷河、足早に通り過ぎていく季節、立ち込める霧の中の風景など、広々としたところに憧れていた若い頃に旅したアラスカやカナダ北極圏、アメリカ本土の国立公園などで撮影した風景写真を主に展示しています。デジカメなどなかった時代、その場で画像の確認などできず、帰国してからまとめて100本前後のフィルムを現像に出し、ラボで出来上がったポジを見て一喜一憂していた当時の懐かしくも熱い思いが蘇ってきます。
ここに展示している作品は奇岩を除いてすべてフィルムで撮影したものです。それをスキャンしてデジタルに変換したものに、手を加えてあります。
主に使用するソフトはTopazLabsのGlowとImpressionですが、結構満遍なくTopazLabsのプラグインは使用しています。また、デジタルではHDR用に撮影したものを元にしてあります。
このところ、美術館巡りなどをする機会が多く、多くの絵画の巨匠の作品を見るにつけ思うことは、決して高精細なだけが名画と呼ばれているわけではないということです。荒々しい筆さばきにもかかわらず、鬼気迫る思いが伝わってくるモネの晩年の作品などを見ると、「もうこれは風景写真などは足元にも及ばない」ことに打ちひしがれてしまうのです。おそらく顧客であるパトロンの部屋に、完成した絵が飾られるであろう位置とそれを眺める距離なども計算して、サイズを決め、一番効果的な筆の入れ方をしていたのではないか、と考えるようになりました。そういった意味で、昔フィルムで撮影した作品に「筆を入れて」みるのも悪くないと思い、色々と試しています。
元々は写真ですが、離れて見ると、違った印象になったりして、写真を弄ることに抵抗がある人も多いようですが、あまり窮屈に考えず、自分の部屋に飾るなら、こんな感じがいいだろうなぁ、くらいの軽い感じで巨匠たちの気分が味わいながら楽しんでいます。
HDRのレイヤーを重ね、不透明度で調整するのと同じ手法を使っています。全て揃えると高額なソフトですが、取り敢えずGlow、気に入ったらImpressionを試しておいて、損はないかもしれません。お手元にあると傷だらけで使い物にならないようなネガで撮影した作品なども蘇らせることができます。
尚、このページではキャプションを英文にしています。当時、日本のガイドブックのカタカナ表記で現地で混乱した経験があるからなのと、写真という媒体には国境がないのでどんな人が参考にするかわからないからです。以上のような理由で英文にしてありますので、ご了承ください。
WildLife
雪原を疾走するトナカイ。こちらを怪訝そうに見つめるダルシープ。サバンナの景色に溶け込むアフリカゾウ。都会の片隅でひっそりと暮らすアオダイショウ。野生動物を育くむ広大な大地、隠れ家を提供する都会の片隅など、今彼らを取り巻く状況は、とても厳しいものですが、そんな心配をよそに一頭一頭の動物たちは、逞しくその場所で生命を繋いでいます。旅先や近所で見かけた逞しく生きる野生動物の姿を展示しています。
撮影地はカナダ北極圏、アラスカ、カナダディアンロッキーなどの北米の野生動物を始め、ケニア・マサイマラ、長野県地獄谷のニホンザル、東京都大田区のアオダイショウなど、遠く彼方で出会った生き物から散歩の途中近所で偶然出会った生き物などです。
たった一頭の野生動物が佇むだけでそこの風景に命が吹き込まれるように感じてしまうのは、私だけでしょうか。
大田区の一角で蛇を撮影していた時、通りかかった人が「踏んづけちゃおうか?」と言った一言がずっと頭の中で繰り返し蘇ってきます。「なぜ?、あなたにこの蛇が何かしましたか?」その一言を飲み込み、「まぁまぁ、一生懸命生きてるんですから……」と返すことがやっとだった典型的な日本人の返し方しかできなかった自分に腹が立ったりもしました。まぁ、このやりとりは野生動物と日本人との関わり方を端的に表すものとして、自分の中でもっと咀嚼しておかないといけないと思いました。
何はともあれ、そこの背景に広がる様々な要因や問題は取り敢えず後ろに置いておいて、逞しく生きる彼らの姿に心を奪われた瞬間を切り取ってみました。
Aurora & Nightscape
初めてのカナダからアラスカへの車でのドライブの途中、期せずして見てしまったオーロラが自分の人生を大きく変えることになろうとは、その夜まで思ってもみなかったのです。
一条の光が闇夜に差し込んだかと思うと、いくつもの光の柱が空に立ち並び、柱と柱の間に薄い膜を張ったように繋がったと思った瞬間、突風が吹き抜け時のカーテンのように、突然はためき始めたのです。天を隔てた巨大なレースのカーテンが縦横無尽に空を覆い尽くし、たわみ、揺れ、波打ち、脈動するかのように明滅し、輝き、この世のものとは思えない美しい光景が繰り広げられていました。目の前は混沌とし、頭の中は恍惚感に占められ、放心状態でいたのを覚えています。
それ以来、夜になるとオーロラが出てくるのを待ちわびるようになりました。やがて、より長くその光景を見ていたい、と望むようになりました。
翌年、カメラとレンズを携えて私は再びオーロラの下にいました。初めてオーロラを目の当たりにした夜から結局18年間北極通いを続け、夢中になれることに没頭できたことは、何者にも代えがたい貴重な経験となりました。
その時間の中から自分でも印象深かった作品を並べてみました。
特に好きなのは白夜の終わり、真夜中近くに北の地平線を薄明が東へと移る上をオーロラが舞う季節の8月中旬から9月初旬までと白夜の訪れを感じる4月からオーロラが見られなくなるギリギリの5月上旬までの季節の変わり目に現れるオーロラと満月前後に風景を浮かび上がらせてくれる中に現れるオーロラが一番好きな時間でした。オーロラ撮影の際は厳冬期を除いて、キャンプや車中泊での撮影をしていたので、夜営の楽な季節に気持ちが傾いていたせいかもしれません。夏を過ぎ、建物の中で眠らなければならない時の最初の夜の不安はきっと貰われてきた猫が送る最初の夜と変わらないのかなぁ、と苦笑したりします。
ほとんどがフィルムで撮影した作品ですが、今、自分で見返してもそんなに悪くはないと自負していますが、いかがでしょうかね?
また、いつかオーロラの下に立てる日が来るのか来ないのか、気持ちが昂ぶってくるのかどうかわかりませんが、いつかまた行けるように気持ちが傾く自分に期待を込めて、幾つかの作品を展示しておきたいと思います。
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